平行世界 ――願わくば――
              
 
 
 
 
お前が闇に隠れて、消えてしまわないうちに。
掴まえる。お前がどんなに汚れても。捕まえてやる。
 
泣きたいのなら泣けばいい。
…欠落した俺にはもう、抱きしめてやるしかできないけれど。
 
 
 
 
月が細かった。身を裂く小刀の如く。
容赦なく、細い体を突き刺す。
 
 庭先で蹲っていた幼馴染。
闇の中でも分かる、白雪の花。
 
「何か、あったのか」
 
 今にも消えそうな彼女に、彼は声をかけた。
 振り向く。濃い藍の瞳。同じ色の髪が揺れる。
 …瞳に星はなかった。まるで海の底のように、深く、暗く。
 
「…別に、何も」
 
 震える声で彼女が言った。
 
 戦が当たり前にあるこの世。
人は煩う。合戦の狭間で。あたりに漂うのは鉄の臭い。
あるのは屍とごく僅かな生き残り。
…それも、彼はもう慣れてしまった。
 
 男も女も関係ない。戦える者は戦う。
戦に生き、戦で終わる。それが世界の掟。
 
「嘘つくなよ、いつもと違う」
 
 男も女も、大人も子供も関係なく。
 剣を手に取り相手を切り裂く。それが普通。
 …そうでもしないと生きてゆけない。殺らなければ殺される。
 
「…ほっといてよ」
「ほっとけるかよ」
 
 彼女は頑なに拒否する。
 ひとりにして、と顔を背けた。
 
「おい」
 彼は無理やり腕を引っ掴んだ。
 その時に見えた鮮やかな掌の赤。
 
 …あぁ。
 
 わかってしまった。戦に関わるものだから。わかってしまった。
 赤いそれは彼女のものではない。乾き始めたのか、微かにパリパリと音を立てる。
 
 傍らには彼女の使う刀。傷だらけの。スラリと美しい。
 戦場で彼女と一緒に戦ってきた戦友は、赤く錆びついたものがついていた。
 
 フッと彼女の顔を見る。
 
 泣いていた。
 薄紅の唇を噛み締めて、必死に堪えて。
 
「…どうしたんだよ」
「見ないで!見ないでよ…」
 
彼女は腕を振り払おうとする。しかし彼は離さなかった。そのまま消えてしまいそうだったから。
 
 闇夜に彼女が隠れて、そのまま消えてしまいそうだったから。
 …だからその前に。手が届かなくなるその前に。
 
 今ここにいる彼女の体温を感じた。温かい。
 
 女だからとて彼女は弱くはなかった。
 寧ろ、常に皆より前に立っていた。
 
 その彼女が、何故?
 
「怖…いよ」
 
 不意に浮かんだ一つの言の葉。
頬が涙で濡れていく。
 
 
「どうして?」
「…え?」
「どうして、あんたは平気なの?」
 
 何が、とは問わなかった。
 何を、とも問わなかった。
 
 彼はもう失ってしまったから。
 彼女はまだ持っているものだから。
 
 
 月が細い夜は、代わりに星が瞬いていた。
 
「星が一個ずつ消えていくのに、どうしてみんな平気なの、なの、なの…」
 
 大切なものを失ってしまった者。彼。
 大切なものを残してしまった者。彼女。
 
 苦しみに浸るのは後者の側。
 機械と為すのは前者の方。
 
 どちらが幸せ、なのだろう。
 
月は何でも知っているだろうに黙りこくったままだった。
 
…ねぇ教えてよ?
 
 掠れた声で懇願する。彼への疑問詞か月への要求か。
 涙で月が濡れてゆく。
 
 
 …あぁ、星よ。
 もしも願いが叶うなら。
 流星でなくても、叶えてくれるなら。
 
 
 
(願わくば、平和な世界を)
 
 
 そう、彼女の紅涙を見て、心が欠落した彼が、泡沫に星に願った、色取月の終夜
fin
没作品の派生。

古語が好きなんですよ。
緋隅小夜


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